2011/06/26

昔のこと、思い出したこと

メルマガ、オルタナ通信 88を読んでいて思い出したことを


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>   またマッカーサーによって着服されなかった財宝は、日本の東京タワーに隣接する「メソニック森ビル」等に陣取っていたAIGの私産となった。


「メソニック森ビル」はロイター時代に(平成元年ころ)何度も訪れています、地下に機材倉庫として借りていた部屋が2~3あり、そこでマシンのセットアップなどの作業を行っていました。

建物の裏が東京タワー、横の建物がメーソンの東京ロッジ(日本最大の拠点?)という場所でした。



メソニックと名がつくビルは幾つかあったはずですが、森ビルといえば「六本木ヒルズ」 (六本木ヒルズ森タワー、竣工 2003年4月)の持ち主ですね。六本木ヒルズにもエレベターの工事をやっていたので完成前に何度も行っています(実は完成してからは行ったことがない)。

そしてそのすぐ足元(同じ敷地内)にあるのがテレビ朝日本社、テレあさの看板報道番組で古館氏がホリエモンを気違いじみた調子で叩きまくっていたのは、個人的な感情などではなく、上からのお達しに従っていたということですね。


そういえば古館氏、先代から引き継いで番組の顔となった当初は異様なほど暗い顔になって、プロとしての武器である声も内にこもった調子で死んだようになっていました。私は当時、単純に偉大な先代と比較されることのプレッシャーから来たものと見ていましたが、今にして思えば、番組を担当することとなった為に、逃れようの無い真実と出会ったしまったことがそうさせていたのかもしれません。

真実の報道という理想(虚構)、拒否することが不可能な上からの絶対的な意向(圧力)。その狭間に置かれ身動きがとれなくなり、ある意味死んでしまっていたのかもしれません。その後はおそらく、操り人形になることを受け入れ開き直ったのでしょう。ホリエモン叩きは、彼にとって(私の働きを見てくださいという)絶好のアピールの機会だったはずです。

2011/06/21

conflict of ideas

意見の衝突? 対立? 争い?

ドキドキ、ハラハラしながら見ていた方もあるのかもしれません。


伊瀬知母さんと、私とのやりとりの事です

全く同じ事を3回も4回も繰り返していました

伊瀬知母さんの思いとしては、みんなで心からお願いすれば...相手も分かってくれるかも、伝わるかもしれない

対する私の思いは、みんなと言うことは私もそこに含まれるのでしょうけれど、私の中にはお願いと言う発想(感覚)が(今回の件については)存在しないのでそれは無理ですと言う立場。私の中にある思いをそのまま伝えることは出来ても、それはお願いという言葉とはかみ合わないという感覚。

なぜだかは分かりませんけれど、二人して同じところに何回も引き戻されていました。

けれどこれは、お互いの違いを確認しているけれど、否定や争いとはまるで違うんです。衝突ではありません、ただ違っただけ、平行だっただけ。相手の事はちゃんと認めていたんです。そうは見えなかったかもしれませんが(笑)

伊瀬知母さんが、「私のような普通のおばさんが言っても...」と言った時がありましたが、それに対して私は「だからこそ、かえっていいのかもしれませんよ」と返しました。

それと、皆が帰った後に引き返して、もう一度“お願い”して相手側の別の反応を引き出したとの報告には、言葉には出しませんでしたが心の中でさすが母さんと、拍手喝采しておりました。

二人の間には一切わだかまりのようなものは無いと私は感じています。

その証拠というわけではありませんが、私たちは別れ際にしっかり握手していましたよね。変につっかえたモノがあったら、絶対あんなふうに自然には出来なかったはずです。

ちょっと面白いはなしでしょう?

2011/06/20

セルフコントロール

最初に京都に行ったときに既に感じていたことです

優先順位が低かったのか、ハッキリ書く機会が回って来ずに今日まで来てしまいました。他に同様のことを言うであろう人も見当たらないので、これは私の役目なのだろうと思います。

それは何のことかと言えば「タバコ」のことです


一般的なものの見方(健康がどうとか)から言うのではなく、きちんと自分の意識でコントロール出来ていますか?ということを問いたいのです。

私からみて多くの方が、多くの瞬間に、自動人形と化しています。

イライラする、ソワソワする、考えがまとまらない、何かしら不安材料がある。そんな時、無意識に発動するプログラム、「タバコに火を着ける」に行動を乗っ取られている。本当にその瞬間自分が吸いたいから起こした行動なのですか?

『「超自分」勝手』を行おうとしていて(行っているつもりで)、実際は別の世界に引き込まれている


2011/06/19

why are you so...

涙の理由...

笑顔の理由...

受け入れがたい現実に直面したとき

どうしようもない悲しみにぶち当たってしまったとき


その感情をどう外に表すかは人それぞれ

とことん泣いて泣いて、感情を整理しなければ、次の行動にいけない人もいれば

即座に状況を受け入れ、すぐに次の一歩を踏み出すため、自分を勇気付けるため笑顔を作る人もいる

どれが正解、不正解なんてことはない

その人らしい反応でいいはずだ

2011/05/29

木の上に立って見るモノ

「木の上に立って見ているモノ」

ロイヤル室町に居た時に、2度3度とこの言葉が頭に浮かびました。

なぜ今? 何の関係があって?

あまりにも意味が分からなかった為に

口には出さなかった(コワかったのかも知れません)

けれど、声に出して見るべきだったのかもと今にして思っています

 「木の上に立って見ているモノ」それは漢字で書くと「親」


もう一つの言えなかったこと、聞けなかったことを

拓美さんに聞いてみました link

2011/05/28

そして誰もが全員...

京都へ行くことが決まる前日

15日のその夜、始めて林さんと電話で話をしていた

どういう会話の流れで出て来たのか覚えてはいないが

非常に印象に残る言葉を言われた

長谷章宏が4人5人と現れて来ればいい

いや、いっそのこと全ての人が長谷章宏に成ってしまえば一番いい


そうだ...

よく分からないが、きっとそう言うことなのだろうと思った

2011/05/24

くもん

算数の方じゃなくて、苦悶

思い出して、頭を抱えたり

一人で身悶えして、脚をバタつかせてみたり


嘘はなかったし、撤回したいわけでもない

けれど、納得してない、何か変、

何だったのアレ(あの時の自分)はという感じ

で、また思い返して一人でジタバタ


アホやねぇ、まだカッコ付けたがりが残っているということなのかな?


でも、わかった振り、賢い振りするより、見たまんまのバカを晒していきます


その程度の奴ですよ私(笑)

自己卑下とかじゃなくて、そのまんまの事実

2011/05/23

生命と縮図

頂いた資料等に何度も目を通しながら、関係者の皆様方がそれぞれに役割を果たされて、ようやく今があると、今更ながらに実感しつつあります。

まだ終わりではありませんけれど、とりあえずこれまでのところについてはお礼を言わせて下さい。本当にありがとうございました。



京都へ訪れたのは、高校の修学旅行以来だから四半世紀以上、30年近くにもなるはず。

当然京都の住宅事情のようなものは、一切知らない、わからない。

だが、東京都内で何度も引っ越した経験や、これまでに訪れたことのある住宅と比べてみても。また、専門家では無いがマンションや公共の集合住宅の建築にある程度関わってきた経験、これまで見てきたものと比較しても。

「アーバン紫園」「ロイヤル室町」共に異常性が際立っているように感じた。(あくまでも、京都の普通を知らない視点ではあるが)

2011/05/22

謝罪と感謝

昨日の補足のようなことですが

私はあのとき真由美さんに何度も繰り返して「ごめんなさい」と「ありがとう」を言っていたと思います(「ごめんなさい」の方が多かったかな多分)

これはどっちも一緒というか、切り離せないというか

表裏一体、同じことだと思っています


どういう事かと言いますと

本当に全部受け止めてたんだなと、そんな感じがして

その中の一部は、本来なら私が自分で引き受けなければいけないものだった

それを知らずとはいえ、勝手に押し付けるようなことをして来ていた

そんなふうに思えて

だから、「ごめんなさい」「本当にごめんなさい」

その他に思い浮かぶ言葉なんか無かった

それと同時に、私がしなければいけなかった事を

ずっと代わりにして来てくれていた事に「ありがとう」

これが、あの時の私の気持ち

表面上は逆にもとれる言葉だけれど

切り離せない同じ事の表と裏だった

どれだけ繰り返しても、全く話にならないくらい足りない

そうは思うけれど、他の方法も分からなかった


今の私は、自分の分を担当出来る位にはなっただろうか?

たぶん、まだ出来ていない

けれど気持ちだけでもそうありたいと思っています



皆さんの目に映っていたことは何でしたか?

質問があれば、何でもお答えします

うまく説明出切るかどうかは分かりませんが

2011/05/21

月の夜

いずれ、もっと詳しく書けると思いますが、その前に、ちょこっとだけ説明しておきたいと思います。


真由美さんの前での、私の行動が一体なんだったのか。

全体としての意味は私にも分かりません

ですが、誰にでも分かりやすく、おそらく結構大切だと思うことについて