最初に京都に行ったときに既に感じていたことです
優先順位が低かったのか、ハッキリ書く機会が回って来ずに今日まで来てしまいました。他に同様のことを言うであろう人も見当たらないので、これは私の役目なのだろうと思います。
それは何のことかと言えば「タバコ」のことです
一般的なものの見方(健康がどうとか)から言うのではなく、きちんと自分の意識でコントロール出来ていますか?ということを問いたいのです。
私からみて多くの方が、多くの瞬間に、自動人形と化しています。
イライラする、ソワソワする、考えがまとまらない、何かしら不安材料がある。そんな時、無意識に発動するプログラム、「タバコに火を着ける」に行動を乗っ取られている。本当にその瞬間自分が吸いたいから起こした行動なのですか?
『「超自分」勝手』を行おうとしていて(行っているつもりで)、実際は別の世界に引き込まれている
そんな細かいことをと思いますか?
いくつもの細かい乗っ取りに慣らされて行ったらどんな結末になるか、想像できますよね?
私の言っていることは、大げさでしょうか?
これは日頃から訓練する必要のあることだと私は思っています。
多くの方に共通する一例として「タバコ」を出しましたが、これに限らず何でもそうです。
どんな時であっても、たとえ一瞬であっても、自分を失ってはならない、明け渡してはならない、コントロールされた自動人形であることに慣れさせられてはいけない。
最後の最後の判断は自分一人で一瞬で行わなければならなくなる。
迷う暇もない、誰かに聞くことも出来ない(依存心が少しでもあればアウト)、ましてやその瞬間に自分を失って、自動人形になっていたなら...
私の言いたいことがお分かり頂けるでしょうか?
自分の中で切り分けることが困難なら、自分自身で決めた厳密なルールを適用するべきです。例えば1日の本数を決めて、それだけは必ず守るなど。
お手本である長谷夫妻が吸うからといって、無条件で安心して「吸う」という形だけ真似て、何か出来た気になるのは非常に危険なことだと思います。
個人的には、この一年は1本も吸わなかったわけですが。16日の昼前、敢えて1本貰って吸ってみました。19mg(?)とキツかったので多少むせましたけれど、なるほどというか、予想通りというか、特にどうということはありませんでした。
どういうことかというと、タバコを「吸う」「吸わない」どちらを選んだとしても、私はもう余計な影響を受けることは無いようです。
喫煙という不自由からも、禁煙という不自由からも離れて、本当の意味でタバコから自由になっている自分を確認しました。
当面は吸わない方メインで行動するつもりですが、この自由はなかなかいいもんですよ(笑)
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