京都へ行くことが決まる前日
15日のその夜、始めて林さんと電話で話をしていた
どういう会話の流れで出て来たのか覚えてはいないが
非常に印象に残る言葉を言われた
長谷章宏が4人5人と現れて来ればいい
いや、いっそのこと全ての人が長谷章宏に成ってしまえば一番いい
そうだ...
よく分からないが、きっとそう言うことなのだろうと思った
皆が長谷章宏になる... 私も長谷章宏になる?!
出来る出来ない、そういう話は置いておいて
それを目指さなければ嘘だなと思った
長谷章宏になるとはどういうことか?
コピーすることではないはず
始めから素材だって違う、完全コピーなど出来るはずもないし
誰も求めていないだろう
形だけをどれだけ正確に真似たところで
中身が伴わなければそれはタダの張りぼてだ
そんなものに意味はない
お台場に作られたガンダムは、外観、見た目は上出来だったとしても
決して動くことは出来ない、タダの飾り物
それはどこまで行っても偽者だ
ならばどういうことか?
目指すのは完全体の自分と言うことだろう
それこそが「超自分」の意味
長谷章宏によって示されているルールを使って、そうなる
見た目、上辺のわかりやすい所だけ真似て
つもりに成ってみても、本物には至らない
正しいやり方で正確にひたすら積み上げていく
そういうことなのではないだろうかと思う
齋藤誠です。
返信削除先日は、ご苦労さまでした。
石井さんが「天祖神社」に対して感じた『怖さ』とは、ある種「畏怖」だと思いますが、それは実は石井さん本人のことですよ。「鏡」。
石井さんご本人はお気づきではないかも知れませんが、京都で初めて石井さんにお会いしたときに、私が感じたものです。
同時に、10年前に私が長谷章宏に対して抱いていた感情と同じものでした。
6年前に長谷さんとコンタクトする以前は、この「怖さ」を感じていたので、自分からセッションやカウンセリングを申し込んだことはありませんでした。
後に。このことを長谷さんに吐露したところ、「・・だったら、その『怖い』ということも含めて、正直に話しに、会いにきてればよかったんだよ」と言われました。
「!なるほど」と。
齋藤さん、コメントありがとうございます
返信削除ある種の「畏怖」、それは私自身も思っていたことなのですが_
神に対して不義理を働いていることを、自分がどこかで感じているから。それを咎められるような気がして、それがコワサの正体なのではと思っていました。続けて行くと、コワサが解消されるのはそういうことなのではと。
齋藤さんが私に対して怖さを感じていた?それは全く思いもしなかったことなので驚きました。鏡..自分のことは本当に分からないです、ピンと来ません。
私は当初、長谷御夫妻と会うことについて感じていたのは「恐れ」でした。自分が会っても、邪魔をしてしまうだけ、余計な負担を増やしてしまうだけ。だから、自分は会うことは出来ない、会ってはいけないのだと。
もちろん今は、お会い出来てよかったと思っています。
「畏怖」する「能力」
返信削除>神に対して不義理を働いていることを、自分がどこかで感じているから。それを咎められるような気がして、それがコワサの正体なのではと思っていました。
私も、まさにそう思っていました。
しかし、この「神」を「自分」に置き換えたとき、それが「鏡」で。
「神社」の御神体が何故「鏡」であるのかの真意も。
「長谷章宏」=「長谷真由美」=「長谷結理」=「長谷結理花」は「透明」の存在であり、=「自分」「真澄の鏡」とはこのことなのだと。
>。鏡..自分のことは本当に分からないです、ピンと来ません。
だからこそ、外に「鏡」が現れる、ということでしょう。
石井さんが「天祖神社」に吸い寄せられたのは、「自分が自分であるところのものに遭遇する」「近しさの法則」です。
とすれば、今この時期、私が石井さんにお会いしたことも「近しさの法則」であり、石井さんに私が「畏怖」(コワサ)を感じたのは、私自身が「本当の私自身」に対する「畏怖」を思い出すための出会いだったのだと。
=長谷章宏の、=長谷真由美の、=長谷結理の、=長谷結理花の・・
=全ての存在の。
あれ?治ってる?
返信削除私の所ではコメント投稿欄が表示されない状態が続いていました。
makonii さんのコメントを次の記事に引用させてもらいました。